CALENDER

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< August 2011 >>

仁比そうへいムービー


カウンター

ブログパーツUL5
2009年3月1日から

CATEGORIES

アーカイブス

2011.08.30 Tuesday

「命守る」戦前から 福岡・東区で仁比さん囲む集い 参加者感動

0

     福岡市の日本共産党東区委員会は8月30日、「仁比聡平さんを囲むつどい」を開きました。各支部から20人が出席し、綿貫英彦福岡市議も出席しました。

     記念講演ダイジェストDVD視聴後、仁比前参院議員が大震災と原発事故後の国民意識の激変について語り、「被災地での日本共産党の住民の苦難軽減の活動をマスメディアは一言も報道しないが、被災者はよく見ています。その結果、仙台と盛岡の市議選で勝利することができました」と話しました。

     参加者から「記念講演は感動的だ。関東大震災、昭和三陸大津波のときから国民の命を守る活動が貫かれてきたのはすごい」「住民運動で70年代以降の原発新規立地を阻止してきたのを知った」「原発問題の分かりやすいビラを出してほしい」などの意見が次々と出ました。

     仁比氏は「共産党が国民の期待にこたえられる力をつけ、国会の議席を取り戻すために共産党を大きくしましょう」と話しました。(しんぶん赤旗 2011年8月31日)

    2011.08.25 Thursday

    規制緩和で急増したタクシー 低賃金・長時間労働 労組が減車、改善取り組む

    0
       いまやワーキングファの代名詞になっているタクシー労働者。福岡県内のタクシー労働者の組合、自公総連福岡地連は賃金・労働条件改善の取 り組みを進めています。

       タクシー労働者に低賃金と長時間労働を広げたのは、2002年の規制緩和でした。タクシー台数が急増します。

       自交総連ワーカーズコープ福岡労働組合の広瀬早美委員長は言います。
       「規制緩和で福岡市内のタクシーが1000台も増える一方、1台あたりの売り上げが減った。一乗務当たりの運員収入が34000円から26000円にまで落ち込んだ」 

      年収239万円低い

       厚生労働省調査でも2008年のハイヤー・タクシー労働者の平均年収は271万円で、他産業常用労働者の510万円より239万円も低くなっています。地域最低賃金や生活保護基準額を下回る県もあります。

       福岡都市圏で乗務する50代のタクシー運転手は「バブル時代の年収500万円から今は200万円台にまで落ち込んだ。少ない人だと100万円台。若い人にとって魅力ある職場とはとても言えない」と話します。タクシーが多すぎるため労働者は長持間・過労運転となり、健康を脅かされ、少ない乗客を奪い合うために乱暴運転やトラブル、交通事故も増えています。

       自交総連福岡地連の内田大亮書記長は「私たちは規制緩和に反対し、減車や不当な低額運賃の是正を求めてきた。日本共産党の仁比聡平前参院議員と穀田恵二衆院議員にも国会でたびたび取り上げてもらった」と話します。

       国会内外のタクシー業界正常化をめざす取り組みが実を結び、2009年7月に規制援和を見直す「タクシー活性化法」が成立しました。国法で供給過剰と指定された特定地域(福岡都市圏など全国156地域)では、事業者が地域計画にもとづく事業再構築(減車)を含む特定事業計画を提出することになりました。

      最賃法違反告発

       福岡地連は今年1月から交通労連などと共同で、減車に積極的でない事業者に対し最低賃金法違反での告発を準備してきました。5月30日に賃金明細書などをもとに2社を告発しました。

       当初告発対象にリストアップしていた12社のうち大事1社が「特定事業計画に盛り込まれた減車を確実に実行する。未払い賃金を支払う」ことを確認するという成果を得ています。

       内田書記長は「大手も減車を表明し、あちらがしないからこちらもしないという理屈はもう成り立たない。確実な減車実行にむけた要請活動を強化していく」と話しています。(しんぶん赤旗 2011年8月25日)

      2011.08.24 Wednesday

      水曜随想 絆と原点たどる特別の夏

      0
         6月から8月上旬にかけては、原発問題や諫早開門問題での現地調査や集会、交渉、また労働組合の全国大会などで多忙を極め、国会日程にしばられていない私も、ほとんど自宅に帰れませんでした。東日本大震災と原発危機の甚大な犠牲を受けての夏を、家族と離れたまま迎えるのはつらいなーと思い、中1になった息子を長崎の原水爆禁止世界大会に誘ってみたのです。

         どうやら地元の花火大会とてんびんにかけて迷っていた息子も、「寂しがる父親に付き添ってやる」というポジションに得心し、うまいちゃんぽんと皿うどんにつられて同行。とりわけ原爆資料館と、平和記念式典での被爆者の訴え、「千羽鶴」の合唱に何かを感じてくれたようです。次々声をかけていただいた西日本各地から参加のみなさん、ありがとうございました。

         長崎から帰った翌10日は、高2の娘が「大学を見に行く」というので、京都まで同行。大学構内の自治会BOX、10年暮らした下宿も健在で、お世話になった学生食堂や銭湯、黒谷寺から吉田山、哲学の道など、私にとってもタイムスリップしたように原点をたどるいい機会になりました。

         お盆には、元気に99歳を迎えた祖母の白寿の祝い。私を先頭に10人の孫と、13人のひ孫が心を込めた絵本が完成し、祖母からつながる大切な命を、親族一同、涙ながらに語り合いました。

         みなさんはどんな夏を過ごされましたか? 

         政権と国会のあきれ果てた姿、ふりまかれてきた自己責任論の無力さ。その一方で多くのみなさんが、絆と社会的連帯の力強さを改めて深く感じておられます。そうした思いにふさわしい政治をつくる力を結集する。時代の期待に応える強い共産党に飛躍する。気持ちを固め、大きく足を踏み出して、秋を迎えたいと思うのです。(しんぶん赤旗 2011年8月24日)


        | 1/4PAGES | >>