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仁比そうへいムービー


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2009年3月1日から

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2013.04.28 Sunday

仁比そうへい物語Α“新發了憶〜

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    何としても再び国会へ

     ある「父の日」。国会と全国を飛び回り、福岡の自宅にほとんど帰れない私に、子どもたちが「感謝状」をくれました。



     「あなたは日々弱い人たちのために、眠たいときも、疲れたときも、よく仕事に励みました。家族のことも考えながらこれからもがんばってください」―もちろん議員会館の部屋に飾りましたよ。



    2013.04.27 Saturday

    仁比そうへい物語ァ々餡颪瞭盂阿

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       小泉・安倍「構造改革」政治で広がった貧困と格差が、福田内閣のころには誰も否定できなくなりました。

      仲間信じで勝利

       青年たちとともに光洋シーリングテクノ(徳島県)や日亜化学(同)の偽装請負をただすなか、2008年秋にはリーマン。ショックの嵐が吹き荒れ、新たなたたかいが始まりました。


       マツダの違法派遣を国会で告発。シャープ福山工場(広島県)で派遣切りされた青年たち39人が労働組合をつくって勝利解決。「仲間と信じ合ってここまできました」と女性委員長は語りました。大分キヤノンの青年たちは「組合をつくって初めて人間いされた」と話してくれました。たたかいの力で青年たちが言葉を取り戻していく姿は、とても感動的でした。

       「年越し派遣村」の取り組みのなかで、生活保護について東京都が出した「住まいがないとか、若くて働けるはずだとかは保護しない理由にはならない」との通知を、私は国会で取り上げ、「全国に周知徹底したい」という答弁を引き出しました。生活苦や失業、就職難は自己責任ではないのです。


       深刻な『非正規切り』のもとでの生活保護の活用を各地方自治体に徹底させよ。要求する仁比参院議員=09年1月26日、予算委員会

       09年総選挙で、自公政権に退場の審判が下されました。民主党・鳩山政権への初質問(09年11月)で、私は、国の是正指導と直接雇用推奨にさえ従わない大企業の社会的責任を果たさせるため、総理自らが乗り出すべきだと迫りました。鳩山首相は「このようなことが決して続かないように、積極的に私としても動いてみたい」と答弁したのです。

       傍聴したNECセミコンダクターズ(熊本県)の青年労働者は「みんなの力で変えてきたんですよね」と目を真っ赤にしていました。私も胸が熱くなりました。いま振り返ってみて、この切実な思いを踏みにじった民主党政権に、深い憤りを覚えます。

       09年秋のこと。国会の私の事務所に、お名前を知らないC型肝炎の女性から、巻物の大変達筆なお手紙が居きました。「私たちの切羽詰まった叫びをじっと聞いてくださり、翌日には与野党協議の申し入れがなされたとのこと。患者の一人として、どんなにか勇気をいただけたことか。心から心からお礼を申し上げます」

      肝炎対策を迫る


       民主党は、被害者たちが切実に求めていた肝炎対策基本法の実現を公約して政権についたにもかかわらず、自民党・公明発との駆け引きの材料にし、成立が危ぶまれていました。日本共産党議員団は「全会派が参加する開かれた協議で今国会の成立を」と道理ある道を示し、私は「先送りできると考えたら大間違いだ」と直談判で迫りました。こうして難所を打開した私たちへのお礼の手紙だったのです。

      肝炎基本法成立直後の報告集会にて(09.11.30)

       基本法成立の日、原告団の報告集会で、その方と初めてお会いできました。「これまで共産党は怖いところだと思ってきた。もっと早く共産党に出合えていたなら」とうれし涙で、私の手を握ってしばらく離しませんでした。

       政治に苦しむ人々と私たちの通いあう熱い思いの根底にあるのは、「苦難あるところ党あり」という立党の原点です。(しんぶん赤旗 2013年4月27日掲載)

      2013.04.26 Friday

      仁比そうへい物語ぁ々餡颪

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        平和めぐるし烈な対決

         4度目の挑戦の2004年参院選で初当選。まさに「宝の議席」です。日本共産党の弁護士議員は私一人。「任期の一分一秒すべてを輝かせる」と激動の日々が始まりました。

        豪雨災害の論戦


         初質問は、豪雨災害の被災者支援を迫る論戦。現場で痛感した「畳一枚支援できずに何が政治か」の思いをぶつけました。以来、相次ぐ震災、洪水に、長靴と防災服がもう一つのユニフォームになりました。国土交通委員会では、脱大型公共事業、タクシーや耐震偽装事件など規制緩和の弊害をただしました。
        (初質問の赤旗記事http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-08-07/01_03.html

         

        2013.04.25 Thursday

        仁比聡平物語 弁護士として

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          憲法が光り輝く瞬間 

           1994年、30歳で弁護士となり、格闘の生活が始まりました。



           初日から労働争議の交渉。「新日鉄出向無効確認事件」や、大学教員の不当解雇を撤回させ職場復帰を果たした「福原学園配転無効訴訟」を通じて、労働組合の団結の大切さ、労働契約のあるべき姿を学びました。


          2013.04.24 Wednesday

          仁比そうへい物語◆々盥察β膤愡代

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            法律生かし国民とともに

             小学生のときからクラリネットを吹いていて、小中高校時代は吹奏楽部。真剣に音楽家の道も探求しました。一方で、そんな友人たちと「芸術とは何か」「差別はなぜ起こるのか」「戦争はなぜ起こるのか」と熱く議論しました。いま振り返るなら「社会を動かす仕組みをつかみたい」という強い欲求が、法学部に進学した最大の動機だったのでしょう。

            入学式の当日から

             私が京都大学に入学したのは1982年でしたが、なお反共暴力集団がのさばり、授業破壊や内ゲバまでやる異常な事態で、そうした暴力支配が許せずに入学式の日から学生自治会運動に飛び込むことになりました。その年の5月、民青同盟に加盟し、京都スモン訴訟の原告を訪ねたりするなか、日本共産党への入党を誘われました。

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